痴漢とミシュラン
某日のことである
私が阪急の電車に乗っていると、急に車掌さんが小走りに隣の車両へと向かっていった。
まだ、走行中の電車。何かな、と思っていると、若いひとりの男性と若い女性、中年の女性をつれて戻ってきた。若い男性はスーツをキチンと着こなしたビジネスマン、年は24、5くらいか、やや顔面蒼白で、車掌にひきずられるように歩いていた。
そして、車掌室で車掌が何事か頻繁に無線機のようなものでやりとりをしていた。そして駅につくかというころ、「扉が開くまでお待ちください」という聞きなれないアナウンスが響いた。そして、駅につくと電車は停止、扉はしまったままだった。何だか妙な雰囲気だなと思っていると、「迷惑行為のため、扉を閉めています」とまた聞きなれないアナウンスが、そして車掌室の横のドアの前のホームに駅員が集まっているのを見て、車掌がドアをこじあげ、男性を引き渡した。
そこまでは、まだ大人しかった男性だったが、ホームに降りると抵抗を開始。駅員に羽交い絞にされていた。それでも、抵抗をあきらめず駅員をひきずるようにもう一方の線路に降りようとしていた。
その一部始終を見ていた僕の隣の男性が、
「痴漢ですかね」
と聞いてきたので
「みたいですね」
と返した。
「昼間からようやりますね」
と言ってきたので、
「ほんまですね~」
と愛想よく返したが、夜なら痴漢をしていいわけでは決してない。ていうか、夜だから特別ムラムラするというのもありえない。
なんだか、妙な受け答えだなと思っている間も、若い男性の抵抗は続き、両足の膝を線路の上の空間にはみ出していた。駅員は尻を地面につけて必死にしがみついて、降りるのを阻止していた。まあ、駅員は数人いたので、若者がとっつかまるのも時間の問題だろう。
状況を考えるに、若い女性が被害者、中年女性が痴漢行為の目撃者というところだろうか。
写メでもとろうかなと思ったが、やめておいた。野次馬はいいが、品性下劣な野次馬にはなりたくなかったからだ。連行されるまでは見たかったが、時間がないので駅を離れた。
とりあえず、わかったのは阪急の痴漢対策はなかなかのものということ。とくに扉を手でこじあけるところなどは、徹底している。
痴漢をやるのなら、電車が駅を出発する直前、もう少し詳しく言うと扉が閉まる直前にペロリといくのがいいということがわかった。もちろん、もしかしたら電鉄各社はそれを上回る痴漢対策をしているかもしれないので、その場合は保障の限りではない。また、念のため言っておくと私は今まで痴漢は一度もしたことはないし、これからもする予定はない。
職業柄、ワードの置換はよくするが、もちろん、これは痴漢とは何の関係もないことは言うまでもないだろう。
そして、その足で取材先に向かうと、また興味深い場面に出会った。そこは、東京にも店を出している有名店。東京の店は、あのミシュラン東京でも星を獲得した店だ。そのお店の取材中に、電話がかかってきた。「シェフ、ミシュランから電話です」と言って渡した部下の声を聞いて、店内に何ともいえない空気が流れた。
「はい、いつもお世話になってます。…ハイ、ハイ…ハイ」
店長のやり取りに耳をそば立てるスタッフたち。
「撮影ですか?…ハイ、ハイ…いいですよ。けど明後日から2週間海外のフェアいくんで、それ外してください。……ハイハイ」
店長が目くばせすると、スケジュール帳を持ってくるスタッフ。
「ミシュランガイドですね。…●月●日●時ですね…わかりました」
電話口で確認するシェフの言葉をスケジュール帳に急いで書き写すスタッフ。
そして、シェフが受話器を置いた。
「ミシュラン京都本が出るから、撮影させてやて。写真撮るくらいやから、星はもろたやろな」
と言った瞬間、店がわいた。
「おっしゃぁ、東京で1つ星やったら、こっちは3つ星やろ」
「プロフィールの星も東京の店とあわせた数にせなあかんな」
喜ぶ若いスタッフたち。
東京と京都の店を往復するシェフは、「ミシュランの京都本ってでるんやなぁ。けど、最近、覆面調査員っぽい外人の客とかおったけ?」といたって冷静だった。
ちなみに裏情報では、ある料亭がミシュラン京都本出版に対して、待ったをかけたとかかけないとか。あまりキレイな話ではないし、詳しくは書かないが、そういうこともあって、今回のミシュランは掲載を拒否した店も一方的に掲載するらしい。
ただ思ったのは1つ。ミシュランといえど、取材依頼の仕方は我々と同じ電話であった。
まあ、あたり前だが…
とにかく思ったのはすごい場所に居合わせたなということ。以前、フランスでミシュランの星を獲得した日本人シェフが経営するお店を取材したことがある。そこをまかされている料理人は、フランスで実際に星を獲得する直前まで日本人シェフの片腕として働いていた人物だ。その当時の雰囲気を教えてくれたのだが、とにかく凄い殺気だった職場だったという。シェフも星を目指すため死に物狂いで料理に打ち込んでおり、事実フランスの美食家の注目を浴び連日満員だったころだ。ある日、取材した料理人がある料理をしあげた。店は満員で、オーダーも遅れがちになるところを必死になって完成させたのだ。そして、シェフによる盛りつけや味の最終チェックになって、「こんなレベルじゃ星はとれない」と作ったばかりの料理をゴミ箱へ捨てられたという。ちなみに、その料理人もホテルやレストランで修業をした確かな腕前。たぶん、どこに出しても恥ずかしくない料理だったが、星を目指すシェフには不満足だったらしい。
もちろん、オーダーは次々とやってくる。結局、ゴミ箱に捨てられた料理を作り直しお客さんの前に出したのは1時間後。つまり客は、ひとつの皿を食べ終わってから、次の皿まで1時間も待ったということだ。
ちなみに、そんなことは1度や2度ではなかったらしい。怒って帰るお客も少なくなかったという。そこまでしなければ星がとれないのか、と思う反面、その1時間待たされた客がミシュランの覆面審査員でないのは幸運だったのだろう。
あとフランスの星付きレストランにまつわる興味深いエピソードを1つ紹介しよう。星付きレストランで修業後、軍隊に入隊、そこで落下傘部隊の訓練を積んだ後に、店を持ち、人気店となったシェフがいた。彼のインタビュー記事を読んだのだが、面白いのが、「落下傘部隊の訓練の厳しさよりも、星付きレストランの職場の厳しさの方が上だった」と語っていること。極限状態に近い訓練をする軍隊よりも、厳しい環境の厨房でなければ、ミシュランの星を獲得できないのだ。
ミシュランというものができたのが最近の日本では、このへんの過酷さはピンとこない。例えるなら、オリンピックのメダルに相当するものがミシュランの星なのだろう。
そんなメダル獲得の場面を生で見れたのは、実によかった。あと、痴漢の取り押さえ現場も生で見られたのも実によかった。一生で1度あるかないかのシーンをライブで2度目撃した貴重な1日だった。
あと、そんな貴重な1日なので、文体もやや硬めで書いてみた。
以上、吾輩の話は終了である。